読み終わった瞬間忘れて欲しい

分で自分のことをクソだと大声で詰ってしまいたくなることが3日に1度ある。常にクソだと思っているが、大声で叫びたくなるのは3日に一度くらいだ。毎日じゃないところが却って正気では無いみたいで好い。

他人をクソだと思う10倍の頻度で自分のことをゴミだと言う。常に自分のことを低く低く思っていないと落ち着かないのだ。こういう卑屈さは他人の目から見ると鬱陶しいものだということは承知している。その上で、時々自分を卑下して、時々それを言う。何度かに一度思うことの何回かに一回は表に出す。口に出したことはすでに何十回も考えたことである、ということでもある。のか、も、しれない。かな。

 

以前、私がまだ仕事をして社会の歯車の一つとして貢献していた頃の話であるが、とにかく期待されるのが嫌で、できなくもないことをあえてできないふりしていた。最低だ。職務怠慢甚だしい。そう、その通りだ。ある日、職場の御局様が休んだ。彼女の仕事のほとんどが私に降ってきた。そのほとんども元々私がやるべきものであったが。して、私はなんとなく張り切ってやってしまった。できてしまった。可もなく不可もなくという程度ではあったと思うが。その様を見られて、後日御局様から「ちゃんと仕事できてたと隣の課の子が言ってたからその調子で」と言われてしまった。でもそのままできないふりしてしまった。どうしてこうなるのか自分でもよくわからないが、評価して欲しい気持ちとは裏腹にこういう評価を嫌う気持ちもあってうまくコントロール出来なくて、ときどき支障をきたす。

 

誰かに自分を知って欲しいのと同じくらい知って欲しくなくて、ブログだって読んで欲しいけど誰にも読んで欲しくなくて。っていうとこれ読んでる人は困っちゃうだろうし、と思って何にも言えなくなってしまう。どうしたらいいのかわからなくて、まずは正しいことを選ぼうとして、正しさとは何かを疑ってしまって、じゃあ自分はどうしたいのかって方向でものを考えるとだいたい自己矛盾に苛まれる。

 

まで考えてしんどくなってきた……。

どうしたらみんなの関心を集めることができるのか考え始めたとしても次の瞬間には無関心にする方法を考えている。私のことを忘れて欲しい、と思う。忘れないで欲しい、とも思う。どっちでもいいわけではない。面倒臭いやつだな。って思ったでしょ。

 

どうせ私はダメなやつだから、と言っていればいつかそれが免罪符になるとでも思っているのか。何もしない言い訳が欲しいのか。期待されたらどうしても応えてやりたいという自分の性質が嫌で、期待されないように生まれた自己防衛システムなのか。

 

なんにせよ私はクソじゃねえか。って言って締めくくりたくなるのを何度も我慢したけどどうしてもその言葉が出てくる。うーん、ダメだなぁ。

 

私だってどんなに落ち込んでも少し泣いたら翌日には笑顔で前向きに生きられるような朝ドラの主人公みたいな人間になりたかったよ。でもそれって、私なのだろうか。私ってなんだ。

 

ココアは美味しい。

私が何であっても、それだけは変わらないでいて欲しい。

 

飽きてきたし眠いし、この辺でやめる!寝る!うんち!

 

こんなおもんないブログ読んでる暇あったらおもろい小説読んどけ!うんち!

 

ぶりぶり。寝る。ぷりぷり。

ラクダ味の煙草

とは言わないが。

つい最近とある女優さんと熱愛報道された俳優さんが出ているドラマを、久々に見ていたんですけど、なんというか、演じてらっしゃる役が、こう、今の私にガツンとクリティカルヒットする感じで、ドラマをみているときの恋に夢見る女子中学生のような心にズッポシ突き刺さって、これがなかなか抜けなくて。トイレにいる時とかの日常生活に存在する空白のような時間にぼんやりと思いをくゆらせてお尻を冷やしているわけなんですけど。

役の話ではあるが、推理小説家という喉から手が出るほど欲しい肩書きも去ることながら、成人男性にあるまじき無邪気さ!(褒めている)、そこそこ身長もあるはずなのに主人公が並ぶと随分と華奢に見える線の細さや、笑顔から滲み出る親しみやすさと安心感、それと関西弁……可愛い……。性癖バイキングで自分の好みだけ摘んで寄せ集めた皿かよ……最高……。みたいなおおよそ邪なことを思いながら視聴しておりました。私はゴミです。

アリス先生しゅき……って心の中で呟きながら見てたんですけど、たぶんあまりにも役がハマりすぎてて、この俳優さんはこの作品以外見れないだろうな、と思いました。

以前弟が、彼は然してイケメンでは無いだろう、と辛口評価していたのを思い出して、いや、それは違うぞキミ、と言いたくなったんですよ。

一昔前にはたくさんいた気がするしょうゆ顔の、正統派なイケメンでは、決して無いのだが、愛嬌のある笑顔、笑い皺、チャーミングな表情がおそらく女心をくすぐるのだよ。

なんでも「イケメン」という言葉に集約させるからいらん反感を買うのだ。

 

そんな感じで腑抜けた心持ちでいたので、気分転換を兼ねて弟とモンハンワールドのβテストをちょっとだけ一緒にやったりしました。その都度操作のガイダンスしてくれるのはありがたいのだけど、画面の情報量が多くて理解が追いつかない……。草食系のモンスターを狩ることに躊躇いを感じて生肉が入手できないことに気付いた時もそうなんですけど、なんとなく老いに近いものをこの頃感じるようになりました。私はもうダメです。

 

ラーメンズのコントでやってた、タバコの銘柄「キャメル」のことをラクダ味の煙草って言うのすごくすきです。あと桶屋がボーカル。

 

ここまで書いて転寝してしまったので寝ます。おやすみ。

メンフクロウの覆面

日ほど前に仕事をして、帰って来てからは力尽きたように頑張ろうと思っていたことを一切やらなくなった。とにかく気力体力精神力の回復に専念して、ようやく復活の兆しが見えた。つまりまだ気力がない。なにもしたくない。お湯が使えるうちに皿洗いはした。それはできた。

そういうわけで、パソコンの前でだらだらとゲームをやっていたわけだけど、昨日弟からamazonサイバーマンデーを利用して入り用のものは無いかと尋ねるLINEが来た。伊藤園ジャスミンティー……猫のトイレの砂……あるいは猫のおやつ、犬のものでもいい……それと、私のおやつ……と思ったが気力がないので、伊藤園ジャスミンティーあるやんけ、とだけ言って特におねだりはしませんでした……。

 

amazonの関連商品を辿りながら、興味があるような無いようなものをしげしげと眺めて説明文を読んだりすることはままありますが、そこで先日気になる小説を見つけて、迷わず作者ページに飛んでみたら、作者近影でメンフクロウの覆面被ってたんですよね、みたいな事実無根の話をそれっぽくして字数稼いだろw と思ったんですけど、リアルタイムでなんか便意に襲われてて考えるどころじゃないのでやめました。うーん、便意。

なんで便意を抱えたままブログを書いているのか私もよくわかりません。

ただ、お尻とお腹を温めておかないとトイレで悲惨な目に遭うのはお尻なんですよ……。

 

めちゃくちゃ寒いからヒーターの温度上げたろ! と思ってうっかり電源ボタン押してしまいました。そんな感じで誰かもうっかり私の電源ボタン押してくれないだろうか。

 

しょうがないからトイレ行きます。(小が無い、つまりうんこの事だと解釈してくれて構いませんし、なんなら介錯もしてくださいお願いします)

 

おしり。(終わり)

朝ごはんが食べたい

を書こうとしていたか忘れてしまった。まぁ、そういうこともあるだろう。

 

今日は、お昼前に起きて部屋を出てすぐのところにぶちまけられていた猫のゲロを避けて階段を降りる羽目になる。この時点では、まだ処理が面倒だけど結構広がってるし、踏んづけてしまうだろうからあとで処理しようと思う余裕があって。シャワーを浴びて、さっぱりしたところで昼飯を食べる前に猫のゲロを処理しなきゃいけないと思って、フローリング用のウェットシートを引っ掴んで、トイレットペーパーと袋が要るぞ、と思いつつリビングの隅に数分立ち尽くした。脳みそが全然働かなくて、左右に揺れながら袋とトイレットペーパーがどこかにないか探してるつもりでなんかぼんやりしてて、腹減ってることを思い出してやっと動けました。トイレットペーパーは未使用のものを引っ張り出して、あとは袋があればいいんですけど、うっかり犬のうんち用の袋を掴んでしまって、パブロフの犬よろしくすっかり散歩に連れて行ってもらえるものだと思った犬が目をらんらんと輝かせてゲロの処理に向かう私をじっと見つめてくる。ガサガサと袋が鳴ると、尿意を便意を思い出したみたいに忙しなく玄関とリビングの間をうろついていて、これを無視して粗相されても困るのでジャンバーを着て散歩に行くぞって意思を伝えて、外に出たのはいいものの、用を足してもまだうろうろして、べちゃべちゃに濡れた道路を横断するのを引っ張って止めて、家の前を少しうろうろして、寒いので引きずってなんとか家の中に入れて。もうそこからは私のヒステリーのターンで、お昼ご飯温めて部屋に引っ込むまでずっとヒスってました。お昼ご飯食べ終わって満足したらなんだか別人みたいに気分が穏やかになって、我が家のペット一同に申し訳ない気持ちになりながらも、もう怒ってないよって普段の声音で名前呼んでみたりしたけど、情緒不安定甚だしいし、猫はそうでもないけど犬なんて目つきからして人の顔色を窺っているそれなので、なんだか犬が不憫になったりならなかったりしました。

 

明日は学童のバイトが午後から入っていて、最近のクソみてえな生活リズムでギリギリ起きている時間帯なのでなんとかなりそうです。

 

クリスマスプレゼントは基礎体力がいいな……。

 

随分前に作業用の音楽を漁ってて、YouTubeで見つけた椎名林檎の長く短い祭の、PVとライブを交互に見るっていうのを病的に繰り返していて。そこからライブのセットリストからいくつか公開されてたやつを何度も見て、見て、見て、結局ライブDVDを買ってもらって(御祭騒ぎからの長く短い祭のつなぎが良かったというコメントが決め手になった)。今度はライブDVDを病的にリピートすることになるんですけど。他のアーティストのライブDVDって、一通り見たらディスク取り出して、ほとんどリピートすることないんですけど、何故か椎名林檎のライブDVDはやたらとリピートする。アンコールは見ないで、一曲目に戻る。画面の中で、椎名林檎が歌って、歌っている間に脱いで、脱いでは引っ込んで、着込んでからまた脱いで、脱いでまた着込んで出てくる。何度見ても聞いても飽きない。だから狂ったように見るし、やめ時もわからない。

時々、同じ曲を延々とリピートして作業することがあって。好きな曲だし、ずっと聴いていたいと思うから一曲リピートしてるんだけど、なんかだんだん目がぐるぐるしてくるんですよ。漫画的な表現ですけど。こう、ぐるぐるして、頭がぼーっとするんですよね。最近はそうなる前に曲を変えたりしますけど。

 

なにをしていてもしっくりこなくて、なんの手応えもないまま1日を終えることに慣れてしまった。まぁいいかな、みたいな。人生も、まぁ別にいいかなって思ってしまっているので、もう少し真面目にならないとこの生活は改善されないと思う。

改善したいと思っているかどうかはさておき。

 

朝昼夜問わず朝ごはんが食べたいです。お店のランチやディナーで提供されてる量よりもモーニングの量がちょうどよくて。だから朝ごはんが一番好きなんですけど。朝ごはんつっても朝はパン派ですけど。

ちょっと前に母親に「朝ごはんが食べたい!」と朝食の催促をしたら、「何、ご飯が食べたいの?」と聞かれたことがあって。いや、まぁ朝ごはんとは言ったけども、となって。まだまだ母親と以心伝心とはいかないらしい。

「朝ごはんが食べたい」という響きを大切にしたいので「朝食が食べたい」と言い換えることもしないし(「食」という字が二つあるのが気に食わない。食だけに)、ましてや「朝餉」なんて単語を使おうものなら「母上、朝餉が食べとうございます」って言葉遣いから変わってしまうので、やっぱり「朝ごはんが食べたい」なんですよ。

 

やっぱり何書こうとしていたか思い出せない。もう一個くらいネタがあったような……なかったような……

 

日本語にもドイツ語にも兄弟と姉妹それぞれの意味を持った単語があって、それでさらにドイツ語には兄弟姉妹という意味の一つの単語もあって、ドイツ語の授業中に便利だなって思ったのを覚えてる。優れた言語っていうのはそういう痒いところに手がとどくような言葉が豊富なものを言うんじゃないかなってのを今朝布団の中で思っていて、それをブログのネタにしようかなって思っていたことを今思い出した。

日本語も表現が多彩だし世界の言語の中でも優れている方ではなかろうか、と思うのですが。漢字一文字に骨と皮とが剥がれる音とか久しく治らない病とかそういう意味を持たせてるわけですし。使うんだか使わないんだかよくわかんないような文字を残しておくって勿体無い精神発揮しすぎでしょ。

 

うーん、眠たい。

 

朝ごはんに食べるようなメニューを今日の晩御飯のリクエストにしてしまった。

 

食べたら寝ようと思います。おやすみなさい。

脳みその小間切れ

ったことを言葉にしようとすると、その瞬間から感情や思考の鮮度や純度が失われていく感じがします。ぴたりと当てはまる言葉だけを吐き出して生きたい。

 

人との適切な距離感がよくわからないまま四半世紀経ってしまって、未だにどうしたら良いのかわからない。

周りに合わせて悪口を言ったり皮肉を言ったりするけど、その場合関心がほぼ無いものに対してのやや悪意の滲んだ感想であることが多く、私がかつて口にした言葉をそのまま今でも私じゃない人が愚痴に使っていて、私が消費してしまったものを次はこの人が自分のものとして使っていくのだろうなぁ、となんとも言えない気分になった。(状況がよくわからないと思うがそれでよろしい)

 

私は結局、「私」というものから逸脱出来ない事実に、安心したり、もどかしく思ったりする。

 

昔はもっと活動的で、怖いものがなくて、いやあったけど、それでも怖気付くことなく飛び込んで行けて、今に比べたらずっと自信があって、燃えていた。バイタリティがあった。生きるための源を惜しみなく燃やしていた。燃えカスなんて残らないくらい気持ちよく燃えていた。それが若さって呼ばれるものなのかはわからないけど。

何年あるかわからない人生の、その一刹那みたいな、ひととき。爆発みたいに生命力が、エネルギーが、持て余した活力が、燃えて、勢いづいてのちの推進力の源になる。

それが、あるとき一気に失速した。もっとあると思った燃料が実はもう一滴も無くて、大慌てで舵を切るけど、もともとどこに行くつもりだったのか自分でもわかってなくて、一気に不安になって、それから……。

 

自分はできるんだぞ! すごいんだぞ! って自己肯定していないと、すぐに卑屈になってしまう。根拠のない自信を漲らせている人は心が健康そうで羨ましい。でも、恥を捨てるのは嫌だなぁ。

 

できないフリをしていた方が圧倒的に楽だよなって思って、微妙な色した箔のついた履歴書に期待されても困るんだけども。たぶんみんな真っ先に落胆しただろうなって今になって思ってもしょうがない。

 

死にそうな人間の匂いを纏って過ごしたい。使うのか使わないのかよくわからないようなガラクタに埋もれて。

 

思い出せないことが増えていって。怖いことが増えた。

 

それから、

 

それからずっと、死ぬことばかり考えて、生きている。

 

唐突な情緒不安定は生理前の女の子の特権。

飼い猫に対する真摯な愛情について

が好きです。大好きです。口の中に入れても痛くないくらい好きですけど口の中に入れたら口の中毛だらけになるので御免です。

 

顔を洗うときとか、机で何か作業するときとか、そばに猫がいると時々私の頭と猫のケツがニアミスします。怖いです。横を向くと肛門がそこにあるんですよ。怖いでしょう?

そんなことがしばしばあるもんですから、ついつい猫のケツに息を吹きかける癖ができてしまって。最近ではケツだけじゃなくて顔の横にもふーふー息吹きかけてます。肉とか魚を食べた後だと鼻をひくひくさせてめちゃくちゃ可愛いです。愛です。

 

加湿器のタンクに水を入れるとき、近くに猫がいると大体タンクを逆さにして付いてる雫を振り落とします。猫に当たるように。雨降ってきた〜とか言いながら。背中の毛がうようよ動いて逃げるのが可愛いです。愛です。

 

以上、飼い猫に対する私の地味な仕打ちの話でした。

 

いや、本当に猫好きですよ? だって可愛いじゃないですか。動物の完成形みたいな生き物じゃないですか。可愛いじゃないですか。愛です。愛なんです。

 

 

 

バーチャルユーチューバーはキズナアイちゃんです。可愛いです。(ゲーム実況ちょっと見るつもりがハマった)

じゅーぶんのいち

えていることの十分の一も言葉にできていない。

 

というのは、本当はいろいろと考えているけどそれ全部言葉にしたら角が立つから言葉を選んで口にしている、という意味ではなく。

考えることの全てを言葉にするのは大変だということ。

誰かがぽつりと呟いた言葉が、躓きそうなくらい地面から飛び出た石なら、その地面の下にはどの程度石の残り部分が埋まっているのかなあって、どのくらい広く深く考えて地面から出した言葉なんだろうかって。

日頃はそこまで考えることはないんですけど、何日かに一回は誰かの言葉でそういうこと考えます。嘘です。

でも。尖った石が地面から小さく覗いていたときの、地面の下に広がる宮殿みたいな大きな岩を感じさせるような、そういう言葉に出くわすと、ぞっとして、興奮します。

 

上手い言葉が見つからないときはもどかしくてしょうがなくて、誰が共感するのかわからないような回りくどい比喩とか使って言ったりしますけど、そういうときに辞書食べたくなりますよね。もののけ姫で猩々たちが人間を食べれば人間の力を得られると思ってたみたいに。つまりこういうことです。

 

カステラの下にくっついてる紙が辞書のページだったら良いと思いません?

自発的に辞書を破って食ったらやばいやつだけど、カステラ食べようとしてうっかり辞書のページまで齧っちゃったらそれはもううっかりで済まされるでしょう。

 

うっかり八兵衛は団子を食べ過ぎたらうっちゃり八兵衛になるんですか?

 

閑話休題

普段、言いたいけど我慢して自分の中で抱え込んでる言葉ってあるじゃないですか。誰でもそういうの抱えてると思います。私もありますし、あなたにもありますでしょう。どこで消費することもできずに、蓄積されていくストレスみたいな言葉。言ってやりたい当てがあったりなかったりする言葉。それこそ冒頭の「本当はいろいろと考えているけどそれ全部言葉にしたら角が立つから言葉を選んで口にしている」に近いものですけど。

過去に一度、「言いたいけど言わずに溜め込んでるんだよ」と申告されたことがあって。申し訳ないけど私はそこで「じゃあ全部吐き出して」とは言えませんでした。何も聞きたくなかったというのもありますけど。

そういう言葉って、最後どこにいくんでしょうね。

私はときどき、言ってやりたかった言葉があったことを思い出して、でもまぁ随分と昔の出来事だったりすると今更言ってもなぁとなるじゃないですか。同じような状況になったら、その時は絶対に言ってやるっていうこととかもあるじゃないですか。過ぎてから言えなかったこと思い出すのもままありますけど。

結局、言ってやりたいことがあったことすら忘れてしまうんでしょうけど。

風化するように跡形もなく消えてしまうことに、極めて自然に悲しみを感じてしまいます。

汚くても良いから跡を残しましょうよ。立つ鳥跡を濁してなんぼですよ。とかいいつつ、私は死ぬなら綺麗に身辺整理したい派ですけど。

私はこの世に居なかったことにしておきたいけど、お前らは許さん的なアレです。許さん。

 

あっ! 締めが思いつかない! 尻切れトンボ!

 

おしり。