ケーキと敬意の話

が楽しくてクリスマスの夜にこんな話をせにゃならんのだ…

楽しいクリスマス気分を台無しにされたくなければ今すぐこんなブログなんか見るのやめて乳繰り合うなり楽しい事しててくれや……

ほんっとにしょうもない話で泣けてくるのだが、事の起こりは12月某日である。

 

12月某日。世はクリスマスムード一色の中、母が取り出したるは某コンビニのクリスマスケーキカタログ。今年はどのケーキにしようかしらん、と私のような……下賤の……引きこもりクソニートに尋ねてくる。動かざること山の如し私に、クリスマスケーキなどというカロリーの塊を食わせようというのだから、適当には選べまい。食いきれて、かつ飽きず、楽しみともなるクリスマスケーキだ。定番のショートケーキは苦手なので、チョコレート……という流れも定番で、ならばチーズケーキ……までテンプレートとなりつつあったので、いっそ不二家のなんかこう、ちっこいケーキいくつか詰め合わせになったものを選んだ。余は満足じゃ。小さくて彩りがあり、飽きずに完食できそうである。完璧だ。今年のクリスマスは不二家であるぞ!天晴!

 

とはならなかったのである。

それから数日経った12月某日である。クリスマスまで一週間を切っている。

仕事から帰宅して早々、母が不二家のケーキは受付期限が過ぎていると言い出す。この時点で私の完璧なクリスマスは無くなった……ええい、クリスマスなんかどうでもいい。私の中で今年のクリスマスケーキは不二家のあのケーキアソートしかありえなかったのである。それが無くなってしまった今、別にクリスマスケーキは何を選んだって一緒だ。と思っていたのに、母が違うやつを決めておけ明日までだと言ってカタログを置いて行った。何なのだ。クリスマスケーキの決定を私に委ねるのは何故だ。そこまでして食わなければいけないのか? 自分の食べたいケーキさえ選べないのか?

よくわからんが、少し腹が立ったので、この時第一希望から第四希望のケーキを選び、第五希望としてピザをチョイスしておいた。付箋に書いてカタログに貼り付け、母に託した。翌朝、ケーキは何にするの?と聞いて来たので怪訝に思っていたら、ピザとケーキどっちがいいの?と言い出した。第一希望で予約できればそれで済む話なのにそれを聞くのか、と。第一希望って何なんだ……順序つけてんのにどうして並列に扱うんだ……小学生を相手にしてるような気分になってくる。

 

そして12月24日。母がクリスマスケーキを取りに行って帰って来た。箱に貼ってあったシールには私がチョイスしたケーキでは無いものが書いてある。よくわからんがケーキ二つ買ったのかと思って、コーヒーを淹れている間にシャワーを浴びにいった。思えばこの時に一言言えばまだ事態はマシなものになっていたのかもしれない。シャワーを浴びている間に母が電話をしているようだった。どうやらケーキの購入先であるコンビニから連絡があったのかよくわからないが、通話相手はそこであったらしい。話もなんだか要領を得なかったのでわからん。ただ私が第一希望にと選んだケーキと取り違えたものなのか、それが無いから第二希望のものを買って来たつもりだったのかよくわからん。そのあとの憤慨で死滅してしまった脳細胞は知っていたかもしれないがもう今の私の記憶では定かではない。カタログに載っていたチーズケーキ三種類のうち私が希望していたのは二種類で、母が買って来てしまったのは私が選ばなかったものだ。不幸中の不幸である。私がチーズケーキで選んだのはそれ以外の二種類だったんだよ、と伝えたところ、別に謝罪の一言があるわけでもなく、「あれ、そうだった?」なのだ。そこが我が母親らしい。自分の非を認めないと同僚のことをあーだこーだ言う割には、そういうところがある。一体私がケーキを選ぶのに使った時間はなんだったのだろう、と思いながら、謝罪の一つもない母親の態度と期待はずれのクリスマスケーキにがっかりしてため息がこぼれる。と、母がここで「じゃあケーキ取り替えてくる!?」と言い出す。言うと思った。面倒臭い。ごめんなさい次は気をつけるから今日はこれで我慢して、というセリフは母の口からは出てこない。あくまで自分は悪く無いのである。自分が悪く無いのなら誰が悪いのだ? そう、私だ。私が悪いのだ。自分が金を払うわけでも無いのに買って来たケーキにいちゃもんをつけている私が悪いのだ。ここで「別にいいよ、こっちも美味しそうだし食べよう」というセリフが出てこないのだ。悔しいから。こんなの認めたらだって私がケーキを選ぶのに割いた時間と期待が台無しになってしまうのだ。損してるの私だけじゃないか。なので黙りを決め込みながらケーキを食べた。「美味しい?」と聞かれて「美味しいんじゃない?」と素直じゃない返しをした。ケーキは普通に美味い。もうそこから険悪なムードだ。円満に終わった陸王を見ながら険悪になるお茶の間。美味そうなものを食っている私と母に、飼い犬が自分にも寄越せと吠える。大型犬ゆえに声も大きい。苛立ちを隠しもせずに怒鳴りつける私。母が鼻先をぴしゃりと叩いた。食べ終えて、おかわりもせず私は食器を手に席を立った。視界の端で母が食べかけのケーキを床に放った。それに犬が食いつく。気分が悪い。

部屋に戻り、気が緩むと涙がぽろぽろと落ちてきた。私の意見など母には取るに足らないものなのかと思ってひたすら悲しい。何のために第五希望まで挙げたと思っているんだ。とにかく怒りと悲しみで、どこかに言わねば気が済まないと思い、ツイッターで愚痴り、それから謝罪の一言もなかった母親にひとつ言ってやらねば気が済まないと思って、自分の気持ちをないがしろにされたみたいで悲しいとか、お母さんも同じ状況に遭ったら悲しくなりません?ってすごくめんどくさい感情的な女の論調で長文LINEを送り、しばらくして玄関のドアが閉じて鍵が閉まる音がした。母がどこかに行ったのである。私はもしかしたら……と思った。1時を過ぎたころに少し心配になる。2時を過ぎて帰って来た母は、案の定私が食べたいと思っていたケーキを買って来た。コンビニを5件巡って見つけて来たらしい。田舎のコンビニを5件だ。それも我が家を中心として最寄りのコンビニを行脚しているに違いない。この時期の、深夜の峠を越えて、ようやく見つけて帰って来たのだ。それを思うと非常に申し訳ない気持ちになってしまう。送った長文LINEには「ごめん」と一言返事がきていた。私はもうそれで事態を丸く収めていたつもりである。それなのに、わざわざケーキを買ってくるあたりが我が母親らしい。

だが、そうじゃないのだ。

私は言いたい。

 

ケーキを買ってくるよりも、敬意を払ってくれ。

 

ただそれだけである。労力と金を費やすなんてあまりにも馬鹿げている。私にはそこまでするような価値がないのだから。そこまでされたら許すしかないじゃないか。私が悪かったっていうしかないじゃないか。どうして私が選んだケーキじゃないのか、とか説明してくれたら私だってちゃんと聞くし、それならしょうがないねとも思えるだろうに、母は何も言わん。LINEにはごめんだけ。私はてっきり、私がせっかく選んだケーキをどうでもいいように母が扱って適当に買って来たように思っているが、それだって母の立場からすれば随分と違う話になるかもしれない。情状酌量の余地さえ与えてくれない。当て付けみたいにケーキを買ってくる。私が怒っていたの馬鹿みたいだ。

買って来てくれたケーキを一緒に……というような時間帯でも雰囲気でもなかったので母の分を取り分けて冷蔵庫に入れておいた。

「冷蔵庫にお母さんの分入れておいたよ」と言ったら、何言ってんだこいつって顔しながら私に「何が?」と言うのだ。それはちょっと大人気ないのでは? と思って私もこんな時間にわざわざごめんねケーキありがとうと喉元まで込み上げていた言葉を飲み込んだ。絆されるにはまだ早い、という謎の意地が出てきた。

そんなわけで今、胸焼けをこらえながらチーズケーキを食っている。インスタントコーヒーの粉もどこにあるのか知らない(兄が勝手に粉大量にぶっこんで飲むので基本的にどこかに隠している)ので、母に声もかけづらくてやむなくココアを淹れて自室にこもってブログを書いている。

 

ほんまにしょーーーーーーーーーもないけど特にブログのネタもないから記念に。

本当は寛容になりてえ。でも母の筋の通ってないところが許せねえ……。同僚のSさんのことはやたら言うくせに、お前も同じことしとるやないか!ってなって許せなくなってしまう。私はそういうのがどうも許せんのだ。だから同じ穴のムジナであるバカ長男への非難は私がやったことないとこだけ言うようにしている。

 

あーーーーーほんとくだらねーーーーーーー!!!!

でも、この家の中で私の意見尊重されなくなったら死ぬしかないんだよな。どこにも居場所はないんだよ。

 

なんでクリスマスに肩身の狭さを確認しなきゃならんのだ……