煙に巻かれてみたい

が家には顔も声も知らない人の遺骨がある。

 

どういう人生を歩んでいた人なのかは知らない。ろくでもない人間だったということしか、母の口から断片とも言えないくらいの情報しか、知らない。

かれこれ二年ほど、我が家の片隅に放置されている。時々遺骨のそばに花が飾られているのを見かける。乾いた葉っぱを猫が齧っていることがあって、そこでようやく私は遺骨の存在を思い出す。

この人の人生ってなんだったんだろうな、と。思うことがある。

どういう最期だったか、という話は状況でしか知らないが、自死と判断を下す余地のある状況だったので、身内は恥ずかしくて葬式もできないというような話で、葬儀もなく墓に入ることもできず、我が家の片隅に佇んでいる。これが小説なら、夜な夜なカタカタと音を立てていたことだろう。

実際は日常生活の視界に入ることもなく、そこにいたのか、と時々思い出す程度だ。

自分の死後、こんな扱われ方されたらどうだろう、と考えてみたけど、やっぱり死んだ後のことなので、割とどうでもいい。

 

 

 

たしか、遺骨がくるちょっと前に、私は真っ当に仕事を始めていて、そこはかとなくブラックなんだけれども、止むを得ずブラックなので、私は今までニートしてて同年代よりも遅れた社会性とかなんかそんなものを取り返すように黙々と仕事してみた。

三ヶ月に1回くらいメンタルが崩壊して仕事中に泣き出すこともあったが、最近はそれも減った。理不尽には慣れたが、時々泣けるほどむかつく。泥臭い仕事をしている気持ちになることもある。華やかな仕事に憧れることもある。

でも、今の仕事の楽しさもわかってきて、癖になってしまっている。

失敗をすることもあるけど、正解に近いものを導き出せたときは嬉しい。それはきっと生きていく上で当たり前に起こりうることだったんだろうけど、今までこんなに生きがいに近いものを垣間見ることがなかったので、「普通」が何なのかをなんとなく理解しつつある。

 

 

 

昔から、煙草の匂いが好きだった。父親がいつも煙草を吸っていて、煙草の匂いがしていて、なんだかその煙たさが、好きだった。幼い頃は欲しいものを買ってくれる優しい父親に見えていたけれど、人間性を理解する年になると、父親が嫌いになっていった。煙草も好きにはなれなかったけど、煙草の匂いは好きだった。

学生のとき、喘息もちの彼氏がいて、彼が煙草を吸い始めたときは、未成年であることと、健康上の理由で、煙草を吸うなら別れるから、なんて言って、結局煙草に勝てなくて別れてしまったので、やっぱり煙草が嫌いだった。

でもいまだに、煙草の匂いが好きで、嗅ぎたくなってしまう。

 

そんなわけで、魔が差して家にあったキャメルの試供品を開けて、初めてまともに煙草を吸った。正直な感想を言えば、何がいいのかさっぱりわからなかった。どうしてこんなものを吸うのかもわからなかったけど、煙草の匂いが好きなので、また火をつけてしまう。煙を吸いすぎて噎せて、あまりにも慣れない所作が格好悪くて1人で笑ってしまう。匂いが残らないように部屋の窓を開けて、ファブリーズかけて、コーラ飲んで口臭をごまかして、なんとなく悪いことをしているようで、興奮した。アホか?

窓辺で煙草をふかして物憂げになりたかったが、実際は灰が布団に落ちたりしないかヒヤヒヤしながら吸っていた。まるで雑魚だ。

その辺のメンズものの香水を嗅ぐよりは、何倍もときめくんだよね、煙草の匂いって。

 

口の中で出来上がるスモークタンの苦味に、これはキスしたらあかんやつやんって思いました。

 

今、指先が煙草くさいことに気づいてしまったので、そのうち喫煙者の指先を鼻に突っ込んで匂い嗅いでしまわないかしら。

 

日常にもっとときめきがほしい。