脳みその小間切れ
思ったことを言葉にしようとすると、その瞬間から感情や思考の鮮度や純度が失われていく感じがします。ぴたりと当てはまる言葉だけを吐き出して生きたい。
人との適切な距離感がよくわからないまま四半世紀経ってしまって、未だにどうしたら良いのかわからない。
周りに合わせて悪口を言ったり皮肉を言ったりするけど、その場合関心がほぼ無いものに対してのやや悪意の滲んだ感想であることが多く、私がかつて口にした言葉をそのまま今でも私じゃない人が愚痴に使っていて、私が消費してしまったものを次はこの人が自分のものとして使っていくのだろうなぁ、となんとも言えない気分になった。(状況がよくわからないと思うがそれでよろしい)
私は結局、「私」というものから逸脱出来ない事実に、安心したり、もどかしく思ったりする。
昔はもっと活動的で、怖いものがなくて、いやあったけど、それでも怖気付くことなく飛び込んで行けて、今に比べたらずっと自信があって、燃えていた。バイタリティがあった。生きるための源を惜しみなく燃やしていた。燃えカスなんて残らないくらい気持ちよく燃えていた。それが若さって呼ばれるものなのかはわからないけど。
何年あるかわからない人生の、その一刹那みたいな、ひととき。爆発みたいに生命力が、エネルギーが、持て余した活力が、燃えて、勢いづいてのちの推進力の源になる。
それが、あるとき一気に失速した。もっとあると思った燃料が実はもう一滴も無くて、大慌てで舵を切るけど、もともとどこに行くつもりだったのか自分でもわかってなくて、一気に不安になって、それから……。
自分はできるんだぞ! すごいんだぞ! って自己肯定していないと、すぐに卑屈になってしまう。根拠のない自信を漲らせている人は心が健康そうで羨ましい。でも、恥を捨てるのは嫌だなぁ。
できないフリをしていた方が圧倒的に楽だよなって思って、微妙な色した箔のついた履歴書に期待されても困るんだけども。たぶんみんな真っ先に落胆しただろうなって今になって思ってもしょうがない。
死にそうな人間の匂いを纏って過ごしたい。使うのか使わないのかよくわからないようなガラクタに埋もれて。
思い出せないことが増えていって。怖いことが増えた。
それから、
それからずっと、死ぬことばかり考えて、生きている。
唐突な情緒不安定は生理前の女の子の特権。